昭和の木造建築のすばらしさが分かる「樟徳館」見学  

11月12日(土)、13日(日)東大阪市にある「樟徳館」が一般公開されていたので、いってきました。

樟徳館は、大阪の材木商で樟蔭学園を創立した富豪「森平蔵」氏が、昭和14年に建築した木造の私邸です。国の登録有形文化財に登録されており、現在は四年に一度一般公開されています。

森平蔵氏は兵庫県出身で16歳で大阪の木材商に奉公に入り、26歳で独立、木材販売、植林業、海運業で財を成しました。努力と才覚で財を成した人物です。

樟徳館は、その森平蔵氏が60歳を超えた頃から建設を計画し、完成したのは64歳でした。全国から銘木と一流の大工を集め、屋敷の隣に製材所を作り建設したそうで、晩年を過ごすにあたり、自身の木材へのこだわりをこめて建設した建物です。

立派な庭の中に建物があります。建物全体は内地の松で作られており、そのような建物は松普請(まつぶしん)と言われるそうです。「ぶしん」という言葉自体が今では聞かれなくなりましたが、当時の富豪の家屋は松普請だったそうです。

2階建てですが、今回の公開は一階のみです。応接室を中心に見学してきました。

立派な庭の中に邸宅があります。

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応接室には、洋風応接室と身近な客人を迎えるための和室客間があります。

洋風応接室は中央にソファーが据えられています。柱は檜であり、色合いや風合いを合るために一本の木からとったもので、巨大な銘木を仕入れ、製材所を作ったことで、できたものです。天井板は加工の難しい楠の一枚板が使われています。楠は、ゆがみやひずみが出やすい木材だそうで、当時の大工の名工の技があり実現したものです。

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和室客間は洋風応接室より小さく、親密さが感じられる部屋造りになっています。写真右側にある四分の一型の凝った障子窓が特徴的です。

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居間は、床の間のある和風の部屋に洋風の机と椅子が置かれています。部屋の隅には、象嵌の細工があります。

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食堂も洋風でした。アールデコ調の照明が特徴的です。隣の配膳室には、昔の冷蔵庫がそのまま残されていました。

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その他、見学ができた一階には、執事室、女中仕事部屋、電話室、配膳室などがあり、それぞれに極めて細かなこだわりが見られました。家族と、限られた信頼できる人々と過ごすために作られた邸宅だとの印象を受けました。富豪の充実した晩年が想像できます。

執事室です。玄関のすぐ横に設けられており、家人の帰宅や来客がすぐに分かる場所に配置されています。

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女中仕事部屋です。他の場所に比べて質素な作りになっています。洋風応接室や居間の暖炉と異なり、火鉢が残されています。こちらも玄関に近く、家人の帰宅や来客がすぐに分かる場所に配置されています。

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電話室です。家の中に電話ボックス(これも現在では死語ですが)のような部屋が設けられていて、昔の電話機が残されています。当時は、家の当主が直接電話で話すことはなく、使用人の方々が話を聞いて取り次がれていたのでしょう。

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今回の樟徳館の一般公開では、木材の専門家である富豪がこだわった木材へのこだわりと大工の技のが合わさった極み、当時の富豪の晩年の暮らしぶりを感じることができました。次回の一般公開は四年後ですので、四年後になると思いますが、事前勉強して、さらにこちらの建物のこだわりを知りたいと思います。

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